ブルーノ・ムナーリメソッド®教室




ピア・アントニーニ
美術史教授、美術館教育部員、ブルーノ・ムナーリ教育法®の指導者、行動認識論®の指導者。 ミラノ出身、ミラノ在住。 夫、ウンベルト・アバンジとの間に2人の子供をもつ母親。

1981年、満点で現代文学の学位取得。 専攻は美術史。 美術史教師となる。 1987年よりアルテミシア・ジェンティレスキ旅行専門大学の教官。 幼児や少年少女向けに美術館や展示会場内に視覚や美術史に関する学習課程を作成するとともに、人間形成に携わる教師や教育機関、美術館を対象にブルーノ・ムナーリ教育法®に沿った創造的な教室を編成。

1981年よりミラノブレラ美術館の教育部に関与。 1994年より文化財保護局のE.ダフラ、P.ストラーダが推進した小学校向けのプロジェクト「ブレラの発見」の出版に協力、1998年に文部省より出版(Pアントニーニ、美術館:空間と作品―教養課程、 「ブレラの発見」)された。 2001年より美術館および文化財保護区の教育部門に関与。 「ブレラ―宝物捜し―ブレラ美術館の宝石の発見」共著(2002年)。

1981年から1991年まで「ケディーレ―道案内」協同組合の推進役理事。ミラノ市が推進した多数の展覧会の教育活動を計画から実現まで組織する。

1988年、国立カトリック大学から満点で中世および現代の美術史の学位取得。学位論文は「ブルーノ・ムナーリが考案した子供のための教室とその発展」。 その縁でブルーノ・ムナーリやムナーリ周辺の人々との関係を深める。

ブルーノ・ムナーリの作品の学究であり、ムナーリ教室の文献研究者かつ保管者。 1990年のトロッター公園での「子供の美術館」の企画でブルーノ・ムナーリ自身に協力。

1988年、ブルーノ・ムナーリ自身の懇請によりプラト市のルイジ・ペッチ現代美術館主催の「アートと遊ぶ」に関する座談会の司会を務める。 巡回展「アートと遊ぶ」のカタログ「アートと遊ぶ―記録」(アントニーニP、「アートと遊ぶ―記録」、ルイジ・ペッチ現代美術館、プラト、1988)を監修、編集。 多数の記事を執筆。 1997年、ブレラ美術館の「こともがブレラを征服する」展を監修し、パネルの草案を作成。ブルーノ・ムナーリに関する多数の会議(1998年リスボン、1999年ファエンザ、1999年トリエステ)においてレポーターを務める。 アルベルト・ムナーリ、べバ・レステッリ、シルバーナ・スペラーティとともにMU-NARIグループを結成し、1999年10月22日、23日にロンバルディア州とブレラ友の会の共催でミラノトリエンナーレにおいて「ブルーノ・ムナーリあるいは科学と芸術の間を生きるすべ」イベントを企画。2001年5月よりブルーノ・ムナーリ協会(ABM)の創設メンバーとして教育法の再構築と普及に従事。

1991年より、ブルーノ・ムナーリ教育法®を実践する唯一の民間教室を運営しているべバ・レステッリとともにブルーノ・ムナーリ教育法®とイタリア国内の美術館で推進中の文化財への教育的アプローチを融合した「アートと遊ぶ」プロジェクトを考案。 一般からの絶大な支持を受け、ブレラ友の会は1997年から1998年、1999年、2000年、2001年、2002年まで連続で開催を要請した。
1992年から1996年まで、ミンマ・ノジリア女史の依頼でミラノ市第8区の保母を対象にした再教育を監修。 その間の体験を題材にした「自然発見」(ベルガモ、ジュニアー出版、1999)を監修。 2001年1月から2002年までダニエラ・プリナの依頼でクサーノ・ミラニーノ市の保母を対象にブルーノ・ムナーリ教育法®に関連した自然をテーマにした養成講座を行う。

2003年にブルーノ・ムナーリ協会(ABM)と共同でブルーノ・ムナーリ教育法®の修士課程を創設し、指導する。 2006年に15人に学位を授与。

2004年、ドナート・ファブリおよびアルベルト・ムナーリが指導するジュネーブ国際心理文化センター認定の行動認識論で修士号を取得。 2005年より行動認識論(LEO)教室を指導。(Wikipedia

2006年、ミケーラ・デザーニと共同でカントゥ市のカントゥ木工センター(CLAC)における実験的なプロジェクト「無からつくる」プロジェクトを監修。 美術館内にブルーノ・ムナーリ教育法®に基づく教育部を創設し、地域の学校や一般の人々の参画を呼びかけている。 

2006年、ミケーラ・デザーニとマルコ・ゴリエリと共同で学校内のブルーノ・ムナーリメソッド®教室をテーマにしたWebサイトMUNLABを開設。 ブルーノ・ムナーリの直感や遊び、探求を動きのあるデジタル言語で初めて表現し、ブルーノ・ムナーリ教育法®を展開中。

2006年ミラノ市内のバイリンガル・ヨーロピアンスクールで教鞭をとる。

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